アマチュア無線のコーナー

更新  訪問者:


アマチュア無線関係のページです。

ROCのアマチュア無線のあゆみ

1973年 ●電話級を取得、JR3ROCを開局してHFで第一声を発した。
1975年 〜 ●元々作ることが好きだったのでトランスバータを作って50MHz、144MHz、430MHzへも順次進出、 HF機を改造してFMやAMも出るようにしていた。 他にも50MHzのFM送信機やSSBトランシーバ、アンテナや周辺機器を作って楽しんでいた。
●黒点数がすごかった時期があり、HFとくに28MHz(当時ここは運用局も少なく穴場)で交信カントリーを 稼ぎ、HFモービルでもばりばり海外と交信できていた。
1982年 ●それまでは上級ハムにしか免許されていなかったいろいろな電波形式が下級ハムにも 解放されたのをきっかけに(私は電信級だったが、それで上級を取る必要性がなくなってしまった) ジャンクの有線ファックスを入手して改造、JMHの気象画像の受信、21MHzや144MHzで多くの局と 画像通信を始めた。
●アマチュア無線用通信衛星もいくつか上がっていたので、ソ連のRS衛星、オスカー衛星などを使って 交信もしていた。
●自分のコンピュータを入手、データの読み書きにカセットを使っていた時代で、このカセット インターフェースを無線機に接続してローカルとデータのやりとりをする実験をしていた。
1985年 ●有線モデム用ICを入手してパソコンのシリアルポートに接続、これを無線機に接続して データ通信をローカル局で実験、カセットインターフェースに比べるとデータの通りも良く、 比較的実用的に使用できていた。
1986年 ●この頃、NTTのミニファックスが安価で放出されており、簡単なインターフェースを作って接続、 無線機と接続して多くのローカルとミニファックスでのコミュニケーションをしていた。 帰ってくると記録された紙が何メートルも・・・
1987年 ●安価なTNCが発売されてパケット通信が始める者が出てきたため、私もTNCを購入して始めた。
●CQ誌5月号に自作TNCの回路図が載っていたのを見て部品を集めて自作する。これがトラブルがあったものの 何とか成功、これに味をしめて合計3台(3台目はたばこ2つ分の大きさで電池内蔵)自作、 21MHz、28MHz、430MHzなどで運用開始。1万円弱でTNCが作れるというのでローカルでは自作して 運用する者が増える。
1988年 ●すでにパケット通信の虜になっていて、クラブ局のRBBSを私のシャックで運用。
1991年 ●秋月電子の小型ワンボードマイコンを使ったTNCを製作、その後、PC9801に内蔵できるTNC も製作しローカルなどで好評。
1992年 ●パケット通信のTNCでTCP/IPプロトコルを使った通信を始める(後に internetを始めるときにはすごく役にたっている)。なれない言葉ばかりで設定も難しかったが、 すでに全国と接続している局とリンクしてNEWSが配信されるようになった。
●PC9801ノート内蔵TNCの製作記事をCQ誌に自ら売り込んで、この年の10月号に6ページにわたって 掲載された。
1993年 ●PC9801ノート内蔵KISSモード専用TNC(ASM9801)を入手して製作、V29方式の7200bpsでTCP/IPの運用開始。
1996年 ●OPアンプ1個だけの簡易インターフェースを作ってコンピュータに接続、後はソフトウェアで SSTV、FAX、RTTY、CWなどが運用できるというものが出てきたので実験する。交信はローカルのみ だが、受信はHF帯でアマチュアからプロまでいろいろ行えた。
●家を新築したどさくさに紛れて、念願の高さ15mの自立タワーが完成!
1997年 ●現在のシャック(汚いです・・)
HFから1.2GMHzまで各種のモードで運用可能。
とりあえずアマチュア無線もしているが、ほとんどinternetに明け暮れているのが現状か・・・・

韓国のハムショップ訪問

私が初めて韓国を訪れた1990年8月、韓国ソウルで一番大きな電気街”龍山”(ヨンサン)に出かけました。

そのときハムショップがあったので入ってみると・・・・主人をはじめ、店を訪れたたくさんの人々とアイボールすることができました。

ほとんどの人が日本語を話せてテーブルの上に置いてあった日本のCQ誌から情報を得ており、店頭に並んでいる無線機なども日本語仕様のものがそのまま輸入されていて(関税が相当高く、たしか50%ほど日本より割高になるみたい)、マニュアルももちろん日本語!!

ほとんどの人から名刺をもらいましたが、放送局、財閥関連会社、商社など高学歴で高収入の人が多く、一般的な趣味というより金持ちの遊びという印象を受けました。

主人はとても親切で、”メッコール”(韓国では人気のドリンクで麦茶にコーラを混ぜたもの)を出していただき、夕食も近くの日本料理店(食べ物は韓国風にアレンジされていたが)でご馳走になってしまいました。 後で韓国南部の釜山に行くことを話していたら、「明日仕事で釜山に車で行くから乗っていかないか」とまで言っていただきました。

この店も1991年に行ったときはありましたが、1994年の年末に行ったときは違う店になっていました。



このページを見た方は次のボタンを押してください。
自動的に見たことを示すメールが私宛てに送られます。

ご感想やご要望などがありましたら以下までメールでお願いします。
 .電子メール : jr3roc@.mx.biwa.ne.jp