ベトナム ホイアン市(Hoi An)

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 ベトナム中部の都市ホイアン、ここはベトナム戦争時代に米軍の軍港で栄えたダナン市より南東に30kmほど行ったところにある。(私はダナン市からレンタルバイクでこの都市まで突っ走った)

 昔から貿易都市として栄え、16〜17世紀にかけては日本人町もつくられて1000人ほどが住んでいたと言われる。その頃の朱印船による貿易により、青磁器がここから日本に入ってきて重宝がられた(ごく最近、日本の協力で磁器の博物館も開館したようだ)。しかし江戸幕府の鎖国政策によって日本人町は衰退していった。

 その後、華僑が入ってきて古い中国南部の色合いが濃い町並みになり、現在に至る。町は日本の古い町並みを思い起こさせるような自然と隣り合わせの静かなたたずまいで、人々は親切で純粋、何かほっとした気分にさせていれる町である。「うなぎの寝床」風の古い家が多く、奥には中庭があったり、きれいな彫刻がしてあったりして、ちょうど日本の街道筋の古い家のようである。お土産物屋さんも多く、何だか日本の郡上八幡を歩いているような雰囲気であった。

 この町で他には、古い寺院をなどいろいろ歩きまわったほか、自然そのままのきれいなトゥボン川を船で周遊したり(1時間$5)、市場ではシルクシャツをオーダーメイド(所要時間1時間少々。$10ほど)、ミークアンという煎餅を割ってのせる独特の麺料理(うどんのような麺でこれがうまい! ベトナム料理は何でもおいしいが)を食べ、本当にすばらしい一時を過ごせた。

 現在でも昔の日本人の面影がいくつか残っている。

来遠橋(日本橋)Japanese bridge

 この橋は1593年に日本人によって造られたといわれ、屋根付きの珍しい橋である。中には小さな寺、猿や犬の像もある。

 東側(写真では右)に日本人町があって、西側(写真では左)に中国人町があったと言われたが、最近の調査では日本人町は西側ではなかったかとも言われている。

 町で場所を聞くときに英語で「Japanese bridge」と言うと通じた。

日本人の墓

 この町には日本人の墓が2つ残っている。町を外れた水田の真ん中にある墓は、名前が読みとれないほど表面が風化しており、いつの時代のものが弾痕らしき後もあった(写真)。もう1つは町の中の民家の庭の中にあり、名前が読みとれ、また1920年代の年号(昭和初期)が読みとれる漢字で書かれた墓標(記念碑?)も近くにあった。

 ガイドブックには、この墓のある場所が載っていないので、町にいた若者達に聞いたら、その中の一人が「案内してあげよう」ということで私のバイクの後に乗っていっしょに来てくれた。2つの墓の他、寺院も案内してくれて、元の場所に戻ったとき、彼はお金等をねだることもなくその場を立ち去ろうとする。普通ならお金を要求する者が多いベトナムで、何かお礼をしたくなり呼び止めてバッグにあったタバコ1箱を差し出すと、彼はニコッとほほえみながら封を開けて得意げに立ち去っていった。


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