インド旅行:マザーテレサとの対面

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 インドのカルカッタでは安宿Hotel Paragonに泊まることにした。ここに泊まっている女の子と話していたら 「ついさっきマザーテレサに会ってきた」と言っていた。他にも会いに行ってきた者も何名もいるようで、 直接会うのは迷惑になるので、朝と夕方行われるミサに参加してマザーテレサを拝んできたという者もいる。 病気で危ない状況だったようだが、最近は人にも会えるほど回復していると知ったのはそのときである。

 今年87歳になるマザーテレサ、「神の愛の宣教者会」を設立、瀕死の人々を収容するホスピス、 孤児を育てる施設、ハンセン氏病患者たちの療養施設など地道な活動が認められ1979年に ノーベル平和賞を受賞して世界的に知られている。

 '97年8月1日、泊まっているホテルからは東にまっすぐ1kmほど行ったところに「神の愛の宣教者会」があるらしいので 宿で知り合った者と一緒に歩いて出かけた。探してみるが大きな建物ではないようでなかなか見つからない。 食べ物屋の人に聞いたら、すぐ横の小さな筋を入ったところに入り口があるということで行ってみる。 入り口には Mother Teresaという表札が見えてここであることは間違いない。入り口の門は開いていて 修道女の一人がイスに座っているのが見えるので「マザーテレサに会えますか?」と聞いてみる。すると「今日は 4時から会えます」ということ。

 現在3時20分、4時まで時間があるので、さっきの食べ物屋でコーラを飲んで時間つぶしをする。 店の主人が「どこから来たの?」と聞いてくるので「日本から」と答える。時間つぶしに「日本のクラフトだよ」 と置いてあった紙ナプキンで折り紙を披露する。折り鶴、船、紙風船、カエルなどを折るが、客も含めみんな興味深そうに 覗き込み、主人の子と思われる小学生がうれしそうにそれを握りしめていた。

 さて4時、建物の前に行くと、Mother Teresaという表札の横に”IN”の文字、マザーテレサが中に いることを示している。そういえば先ほどは”IN”の文字がなかったような。今は門が閉まっているので、 恐る恐る横にある鎖を引いてみる。すると門が開き、先ほどの修道女が「ここでお待ちください」と入り口近くの ベンチに案内された。待っている間にも多くの人々がマザーテレサに会うため中に入って来る。 10分ほど待ったであろうか、今度は2階のマザーテレサが登場するであろう白いカーテンがひかれた部屋の入り口 に案内されて待つことになった。隣の部屋では多くの修道女達がお祈りをしている。その間にも会うために来ている 人は増えて20人以上まで膨れ上がっている。

 しばらく待った後、修道女におされた車椅子に座ったマザーテレサが現れ、カメラをかまえていた人々の シャッターが一斉に降りる。マザーテレサはひとり一人、名刺とメダルを手渡し、握手、そしてお話をして くださる。

 いっしょに行った者が「見ていて気持ち悪くなった」と言う。なぜと聞くと「あのように老いぼれた 姿をみんなの前にさらせだし、見せ物にしている。自分もわかっているんだろうけど、そうして資金集め をしている姿が何ともいじらしいと言おうか、かわいそうと言おうか・・・」と。

 私も有名人に会えると言う興味本位だけで来ていた。しかも名刺やメダルを奪い取るように受け取り、いっしょに 写真を撮って・・・・。

 もらった名刺には次のように書かれていた。

(右は私が訳したもの)

The fruit of silence is prayer. 沈黙の成果は、祈りである。
The fruit of prayer is faith.  祈りの成果は、信仰である。
The fruit of faith is love.    信仰の成果は、愛である。
The fruit of love is service.  愛の成果は、奉仕である。
The fruit of service is peace.  奉仕の成果は、平和である。

              Mother Teresa         マザーテレサ

【上記の文は、インド旅行から帰ってきてすぐの8月上旬書いたものです】


 9月5日、世界中から惜しまれてマザーテレサは永眠しました。

 私はマザーテレサを特にどのような功績があったかは知らずに会ってきたのでした。



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