ベトナム旅行記

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[BBS 2660] JR3ROC 94-01-06 22:49   1250 ヴェトナム旅行                          

 12月23日から本日1月6日まで、タイのバンコク経由でヴェトナムを旅行
してきました。

 ヴェトナム戦争、そして未だに恐そうな国というイメージがありましたが、
行ってみるとまったく違いました。確かに戦争の爪跡は残ってはいましたが・・

 たくさんの友達もできました。大学で日本語を勉強している大学生など・・
いっしょにビーチで遊んだり、大学寮に押し掛けていっしょに歌を歌ったり、
ダンスホールにいったり。ホーチミンの露店に毎日通うと、ビールの値段が
安くなったり、常連の客と顔なじみになって、おごってもらったり、別の店に
飲みに行ったり・・・・

 物価は非常に安くて・・・、インスタントラーメンが6円〜9円、缶に入った
お茶が45円、CAFEがいっぱい10円、ハノイ市の客が列をなして買っている
おいしいアイスクリームが¥10、フランスパンのサンドイッチが¥10〜20

 いっぱいの出来事がありすぎて、次の日には昨日のことを忘れてしまうくらい。
一応日記を付けていましたので、それを見れば今回の旅行の全容を思い出せます。
ぼちぼちヴェトナム旅行のことを書きますので、お楽しみに!

 なお、今回の旅行は、パックツアーではなく、旅行券のみを入手して、友達と
私の二人で、ホーチミン市およびメコン・デルタなどの周辺、フエ市、ハノイ市
と宿を探しながらまわりました。

                            DE JR3ROC

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[BBS 2661] JR3ROC 94-01-08 01:45   3774 ベトナム旅行 ベトナムへの道のり        

 今回のベトナム旅行は、旅行情報誌に載っている某旅行会社に、航空券および
入国ビザ申請を頼む。航空券\142,000、ビザ申請に\23,000。

 ビザ申請に関わる書類や写真などを送るのが遅かったためか、ビザ取得の印が
押されたパスポートや航空券が送られて来たのは、出発の2日前の12月21日。
本当に行けるのか心配で、荷物をまとめたのは出発の前日。

 荷物は毎度の事ながら、スーツケースなどは使わず、大きめのバックに詰め込む。
機内持ち込みをするためだ。Tシャツや下着類を5日分、長袖シャツを1枚、ズボン
1つ、洗面用具など、汚れないようにスーパーで入れてくれるビニルの袋に分類して
入れて詰め込む。他には当面の物を詰め込むリュックサックを背負い、貴重品を入れ
るウエストバックとカメラを腰にぶら下げ。アメリカドルは$700、日本円は
¥10,000持って、準備完了。

 出発の23日。朝5時起きし、新快速に長浜から乗り込み新大阪まで。途中、野洲で
友達と合流。新大阪からバスで大阪国際空港へ。

 11;00、タイ航空で大阪発。バンコクまで直通で行けるかと思いきや、
フィリピンのマニラでトランジットではないの! 一旦おりて1時間半後に
同じ飛行機に乗り込む。機内食は2回も食べ、ビールは何回もおかわりしたため
お腹はいっぱい。そしてバンコクに17:15到着(日本時間より−2時間)。

 ベトナムのホーチミンへの便は明日なので、空港からバンコク市内の宿に
泊まることにする。市内へのアクセスは値段の安い列車(10バーツ 1バーツ
は約\4.5)を利用する。

 宿はガイドブックに載っている駅から歩いていける距離であるチャイナタウンに
ある「台北大旅社」(TAIPEI HOTEL)にする。値段はクーラー付きツインで400
B(Bはバーツ)。部屋は普通の日本人なら文句を言いそうなものだが、我々には
十二分。しかしホットシャワーがなくて、冷たいのはちょっと・・。便所は日本式
に似ているが、こちら特有のもの。用をたした後は横の水槽の水をヒシャクですくって
かけてやらなければならないタイプ。

 ホテルで一息ついて近くをぶらぶら。チャイナタウンだけあって、香港の裏通りに
臭いも様子も似ている。ホテル近くの食堂で中華料理やビールを飲み食いして
110B。ホテルに戻りおばちゃんと話をしていると、この前にあるホテルは
日本人がよく利用しているそうだが、麻薬なども売っているので危ないとのこと。
しかしガイドブックによるとこの台北大旅社も一昨年、日本人女性が従業員に
よってレイプされたところと書かれている。我々は男性なので気にしないで
ぐっすり眠る。

 24日朝、5時過ぎに起きる。駅まで行き、切符を買うと25B。どうも車両や急行
かによって値段が異なるらしい。列車で50分くらい揺られて空港へ。

 早く到着しすぎたためなかなか搭乗する便のカウンターの受け付けが始まらない。
しばらく待ってボーディングチケットを受け取る。ふと見るとクレジットカード専用
の電話があったので家に電話。ダイレクト通話なので通話料は80Bほどだった。
そして10:40、飛行機に乗り込みボーチミンへと1時間半ほどの旅。その間に食事
や飲み物をサービスをしなければならない搭乗員はたいへん。

 12:15ホーチミン空港到着。入国手続きへをするが、書類に未記載事項があった
ので書くように指示されたがよくわからない。空港関係の別のベトナム人に書類を見せ
ると親切に未記載のところを記入してくれて入国手続き完了。しかし荷物の検査があ
る。X線の装置が古いためか、フィルムや水は手に持って機械に通すなとなっている。
荷物の検査を終わって空港の外へ。

 タクシーの勧誘をさけながら、両替所へ。ベトナムは物価がたいへん安いので
$50を両替。560,000B(Bはバーツ)。¥1が100Bの勘定だ。

 ホーチミン市内へのアクセスは、ガイドブックによるとバスが安いとなっている
が乗り場が見つからない。もたもたしているとベトナム人が我々の回りに集まって
きて、タクシーやバイク(後ろに乗れということ)などの勧誘が始まる。結局
$6で非常にオンボロタクシーに乗る。遅いので他の車には何回も抜かれる。

 市内に入ると、車は非常に少なく、自転車やバイク、そして自転車の前に人を
乗せる車がついている”シクロ”がめちゃくちゃ多い。


つづく・・・・

                          DE JR3ROC

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[BBS 2663] JR3ROC 94-01-08 23:19   5176 ベトナム旅行 ベトナムの食べ物          

 まず前回の訂正。ベトナムの通過をバーツ(B)と書きましたが、ベトナムはドン
(D)のが正しいです。バーツはタイの通貨です。なお、100ドン=¥1 です。

 ベトナムの街は、食べ物であふれていた。市場も非常に活気に満ちあぶれていた。そ
のためか、今回の旅行は食べ歩き旅行とでも言おうか、毎日たらふく食べてしまった。
それも一品一人分頼んでも2人分ほどもあるためだ。旅行の途中、風邪をひいたためか
お腹をこわしてからは注文する料理の数をへらした。しかしベトナム料理というのは、
長い間中国の影響を受けていたためが、唐辛子やニンニクもふんだんに使われているも
のの、中華料理風だ。日本人にも通用する味なのだが、脂っこいものをたくさん食べる
とお腹の負担が多い。

 朝食用としてよく食べたのが”フォー”という米から作った麺のうどん(そば?)。
値段は3000ドン(¥30)で、ソーメンのような細身の白い麺に、は肉や野菜がた
っぷり入っていてなかなか美味しい。ベトナム南部では辛いのだが北部では辛くない。
1月1日にいつも食べていたレストランで頼んだら、チキンラーメン風のインスタント
ラーメンが使われていた。きっと新年で忙しかったのだろう。

 同じ麺でも、ガイドブックで紹介されていたハノイ市で食べた”ワンタン麺”(30
00ドン)はもっとおいしいかった。ベトナム人は麺など何でも米から作ってしまうの
だが、ここ店のは麺が細いものの日本でたべるラーメンの麺と色も味も同じだ。ワンタ
ンも中にいっぱい具が入っており、チャーシューもたくさん入っている。この店ではワ
ンタンやチャーシューの量によって3000ドン、4000ドン、5000ドンの3種
類があった。

 米を薄い皮状にした”ライスペーパー”(ベトナム名不明)にいろいろなものをくる
んで食べるものがある。私が食べたのが、焼き魚や野菜、ニンニク、辛子などをこのラ
イスペーパー手巻き寿司のようにくるんで食べる。なかなかおいしい。このライスペー
パーを使って中身を入れて揚げたものは”スプリング・ロール”(春巻き)として食堂
などで食べられる。

 知り合ったおっちゃんに連れていってもらった店で食べたのが、”羽化しかかったゆ
で卵”。殻の上を割ると汁があるのですする。中をのぞくと、中身は少し羽の色が見え
おり、スプーンですくって食べる。以前何かのガイドブックには、中の臭い汁(おしっ
こ)をすすって、小さな骨などをかじりながら中身を食べる、と書かれていたが、嫌な
においもなく、骨もなく、普通のゆで卵のようでおいしい。友達は非常に気持ち悪がっ
ていた。列車の中でゆで卵を売っていたが、これも羽化しかかたものであった。

 レストランでビーフステーキを頼んだら、値段はたったの6000ドン(¥60)。
しかしよく考えたらベトナムでたべた料理にはどんな料理にもたっぷり牛肉が入ってい
るので、それほど高級ではないのだ。日本人は牛肉と言えば「高価」、ステーキと言え
ばやはり「高価」というイメージが出来上がっているだけのようだ。もっとも日本人好
みの霜降りではなく、脂身がほとんどないものばかりだけど。

 他にはウサギの野菜炒め、ヤギ肉の料理、エビ料理、カニ料理などなどを食べたが値
段は10000ドン(¥100)から高くても30000ドン(¥300、比較的高級
レストラン)であった。

 また、ベトナムは南国であるため、フルーツもあふれている。ココナッツ、オレンジ
、パパイヤ、バナナ、マンゴ、ドリアン、スイカ、その他見たこともないようなものな
ど・・・。ドリアン(臭いがたまらない?)以外は食べたが、その中でも特に変わった
フルーツとしては、”ライオンの目”(ライオンズ アイ。正式名知らない)。これは
うずらの卵のような色で、少し大きくて丸い。少し厚めの皮を破ると中はブトウのよう
な色と柔らかさで、味は梨のようなものが出てくる。心には大きめの種がある。これが
非常にうまい。

 またベトナムはフランスの植民地時代もあったためか、パン、アイスクリーム、コー
ヒーなどが一般の人々でも親しまれている。

 街角ではフランスパンをよく見かける。特に短めのフランスパンを割いて、中にソー
セージや野菜などをはさんだサンドウィッチが小さな店やスタンドでよく売られている
。値段は2000ドン(¥20)で美味しくお腹も膨れる。堅いパン以外にも日本では
高級パン屋さんに売られているような卵やバターをふんだんに使ったロールパンやクリ
ームパンが1000ドン(¥10)前後で買える。特にクリームパンは、日本の偽物ク
リームと異なって、カスタードクリームのようなものが入っていて大変美味しく、大フ
ァンになってしまった。

 アイスクリームも美味しい。町のあちこちには”KEM”という看板をよく見かける
が、これがアイスクリームを売っている店だ。器にはいっているタイプ、棒についてい
るアイスキャンディ風のタイプ、コーンの上にアイスが乗っているタイプなどがあって
、アイスクリームというよりシャーベットに近く、ココナッツやフルーツなどが入って
いる。ハノイで泊まったホテルの横にはハノイの人々が列をなして買いにくる有名なア
イスクリーム屋さんがあった。いろいろな味のものが売られており、いつも夕食の後に
は1000〜1200ドン(¥10〜¥12)を握りしめ私も列に並んでいた。

 コーヒーはこれまた街角で”CAFE”という看板を見かければ1000ドン(¥1
0)で飲むことができる。ここでは”コーヒー”という言い方は下品で”カフェ”が普
通の言い方なのだ。小さな器に非常に濃いめのコーヒー、そしてたっぷりの砂糖が入っ
ている。冷めないように大きめの器にお湯を入れて、その中にコーヒーの入った器を入
れるという心憎い配慮だ。ただブラックが好きな私は「ノー シュガー」と言って注文
するのだが、外人がほとんど立ち寄らないような小さな店のおばちゃんには通じなくて
、砂糖入りをよく差し出されてしまった。

 ということで、日本に帰ってきた私は少し太ったか?

                                                    DE JR3ROC

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[BBS 2664] JR3ROC 94-01-08 23:21    608 ベトナム旅行 カメムシの臭い            
 ベトナムの食べ物のところに書くはずだったが、忘れたことが。

 いため物やサンドウイッチなど食べ物には独特の野菜がのっていたり入っていたり
する。

 特に小さな葉っぱの草のようなものがよく付いているが、これには独特の臭いが
する。しかし、この臭いには覚えがある。何の臭いか思い出せないうちは食べていた
が、ふと思い出した。「カメムシ」の臭いなのだ! それ以後「カメムシ草」と名付け
口にはしなくなった。

 他にはドクダミの香りのする葉っぱもあった。ドクダミ茶の好きな私は、これに
ついてはまったく気にしないで食べることができた。

                         DE JR3ROC

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[BBS 2668] JR3ROC 94-01-10 02:11   2285 ベトナム旅行 ベトナム語                

 ベトナム語の文字はすべてアルファベットだ。

 中国の支配や影響を何世紀も受けてきたベトナムでは漢字を使ってきた。しかしその
国の言葉を漢字だけで表現するのには無理があるため、韓国ではハングル文字、日本で
は仮名文字など、漢字を元に簡素化した文字が発明されてきたのに対してベトナムでは
、漢字を複雑に組み合わせて新しい文字を作るという方法が取られた。が、これが災い
して一般の庶民までが文字が浸透しにくかった。

 17世紀頃、フランスの宣教師によってローマ字の上にアクセントを示す記号を付け
た文字が発明された。これが20世紀になってフランスの支配の中、ベトナムの知識人
などの反対にあいばがらも一般に使われるようになっていった。現在では漢字は使われ
なくなり、年寄りが少し知っているか、遺跡やお寺などに残るだけにとどまっている。

 日本と同じ漢字文化であったベトナム、よく似た言葉がいくつもある。例えば2/4
などを示す「分母」は、日本では「ぶんぼ」だが、ベトナムでは「ブンボー」という。
他にもガイドブックや現地の大学生と話しているときに沢山の似ている言葉があった。
また、ベトナム語を耳で聞くと全体として、アクセントなどは広東語のように感じる。

 さて「おはようございます」「にんにちは」「こんばんは」などすべてに使える便利
あいさつの言葉がある。ただし男女で言葉を使い分けるとガイドブックにのっていた。

  チャオ アイン (男性へ)
  チャオ チー  (女性へ)

しかし、年輩の女性にこのあいさつを使うとなぜか笑われた。後で知ったのだが、
男性も女性も若いか、年寄りか、中年かによって言葉を使い分けるのだ。つまり、6
通りの言い方ができるのだ。年寄りの女性には次のように言う。

  チャオ バー  (年寄りの女性へ)

 食堂で食事をするとき、先に述べたチャオ・・と言って店に入り、食べた物がおいし
いとき

  ゴォン (おいしい)

というと、店の人がにっこりする。食事が終わって勘定を聞くとき

  バオ ニュウ

すると店の人が

  ハーイ・ギン (1000)

   1=モット 2=ハーイ 3=バー 4=ボン・・・・・
   ギンは1000の意味
   2000=ハーイ・ギン 3000=バー・ギン

と答えてくれる。お金を渡すと店の人が

  カーム オン   (ありがとうございます)

と言ってくれる。私が店の人に

  ヘン ガップライ (さようなら)

と言って店をでる。・・・と言った具合だ。

 これらの言葉だけでも知っていれば十分だ。


つづく・・・・・

                                               DE JR3ROC

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[BBS 2669] JR3ROC 94-01-10 02:12   1622 ベトナム旅行 ベトナムの遊び            

 ベトナム人の大学生と知り合って、みんなでバイクに相乗りしてビーチまで遊びに
出かけた。そのとき面白い遊びを教えてもらった。

 まず遊びの前に鬼を決めなければならない。どのようにして決めるのかと思うと、み
んなが、手の表か裏を一斉に出していた。そのとき手の表か裏かどちらの数が多いか
を調べ、数の多い方が勝ち、少ない方が負けとして、次は負けた者どうして手の裏表を
出していた。これを「ブンボー」と言い、”ベトナム語”のところでも述べたが「分母
」のことなのだ。最後に2人になったとき、日本とはかけ声は違うがやり方はまったく
同じジャンケンで鬼を決めた。日本では数が多いときはいくつかに分かれてジャンケン
をして、負けた者同士で最後にジャンケンをすることが多いが、ベトナムのやり方は合
理的だと思った。

 さて私もいっしょにやった遊びだが、砂の上に人が何人も入れる円を書く。鬼は円の
外から中の者をさわろうとし、円の中の者はさわられまいと逃げ回る。さわられた者は
鬼となるのだ。なかなかやってみるとおもしろい。日本でも似たような遊びがあったよ
うに思うのだがいかがだろう。

 また、折り紙はここでは珍しいのではないかと思って、メモ帳を破って鶴を折って見
せたりしたが、大きな反響はなかった。こちらでも紙を折る遊びはあって、船を作って
見せてくれた。それでは紙ヒコーキはどうかなと思ったら、彼らも日本とまったく同じ
折り方で作っているではないか。しかも私が作ったものより彼らのほうがよく飛んでい
るのだ。

 ところで、街角でコマを回している子どもをよく見かけた。コマは大きめですべて木
でできており、日本ではコマの下にヒモを巻くのに対して、ここではコマの上にヒモを
巻いていた。珍しいので、子どもに何回も回してもらった。

つづく・・・・

                           DE JR3ROC

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[BBS 2670] JR3ROC 94-01-10 02:13   4504 ベトナム旅行 お土産                    

 まず訂正。”ベトナム語”のところで

   ハーイ・ギン (1000) ==> モット・ギン(1000)

の書き間違いでした。


 物価の安いベトナム、いろいろ買い物をしたり食べたりして、日本の1/10で物価
のように感じられた。日本人にはたったの100円でも、ベトナム人にとっては10000
ドン、これだけあれば安い露店なら何食分もの代金だ。彼らの収入はいくらぐらいある
のだろうか。ベトナム南部を回っるとき、現地の旅行社におもむき、3日間のツアーを
組んでもらい、自動車を貸し切り我々2人は方々回った。そのときの運転手兼ガイドは
ドル換算で月収$100、彼の奥さんは高校の先生で$40とのこと。それでも恵まれ
た生活をしているようだが、一般の人々の収入ははるかに少ないのだろう。

 日本では物価が世界でも高い方に入り、海外へ出ると何でも安く感じられてしまう。
こんな日本人は、値切らず何でも言い値で、しかもいらないものでも言われるがままに
買っている。現地の人にとってはいい日本人はカモである。こんなとき西欧人はハッキ
リしていて、ぼられていると思ったらちゃんと値切るし、いらないものはハッキリと断
る。

 とは言っても、こんなにも物価が安いとなるとついついほしい物がたくさんできて、
お土産を買いすぎ、帰りには重い荷物を背負う羽目になった。買った場所は、9割ほど
が国営百貨店である。ここではぼられないし、値段も一般の店よりも安いことが多く、
いろいろな物が一同に売っているので、庶民の生活水準がよくわかる。

◎ベトナムで買ってきたお土産リスト(100ドン=1円)
                                                       単価     数
 1.ベトナム美人のカレンダ A2版 1枚で1年分   3000ドン 10枚
 2.ベトナム美人のカレンダ A2版 4枚で1年分  15000ドン  1つ
 3.日めくり 漢字で暦なども書かれている      
 4.組みナイフセット  スイス製が有名だが中国製  16000ドン  1つ
 5.ハンモック                       2ドル  1つ
 6.Tシャツ 胸や背中には VIET NAMの文字入り      1.5ドル  2枚
 7.北部ベトナムで男がよくかぶっている鉄兜のような帽子 15000ドン  1つ
 8.宝石箱  漆塗りで貝が埋め込み、内部に鏡    25000ドン  2つ
 9.飾りさら 漆塗りで貝が埋め込み 飾り台付き   10000ドン 10枚
 10.タバコ 550から6000ドンまで様々な種類があったが   1700ドン 10箱
 11.ワイン                      5500ドン  1本
 12.オレンジから作った30度のお酒          7500ドン  1本
 13.ライト(蛍光灯付き 単3電池4本付き、中国製) 21000ドン  1個
 14.ラジオ(短波6バンド、中波、FM、中国製)  140000ドン  1つ
 15.コーヒー100g袋(豆をすって粉状) うまい!  2200ドン  2袋
 16.コーヒードリップ カップ一杯分用  便利!!    3000ドン  1つ
 17.ベトナム茶 缶入り 100g           4500ドン  1つ
 18.ベトナム茶 缶入り 100g(別のもの)     5500ドン  1つ
 19.ベトナム茶 ティーパック 20袋入り       3000ドン  1箱
 20.ウナギの干物 500g袋 独特の香辛料     22000ドン  1袋
 21.サングラス(偽レイバン、中国製)        35000ドン  1つ
 22.眼鏡ケース(なぜかレイバンのブランド入り)    4000ドン  1つ
 23.キャラメル(ナッツ入りで袋にたくさん入っている)23000ドン  1袋
 24.銀のネックレス(メッキか?)          45000ドン  1つ
 25.革製のカジュアルシューズ           140000ドン  1足
 26.インスタントラーメン(チキンラーメン風)            600ドン  1つ
 26.インスタントラーメン(チキンラーメン風)            800ドン  2つ
 26.インスタントラーメン(スープ別タイプ)             900ドン  4つ

 上の、ベトナムカレンダは友達に好評である。タバコも「なかなかいける」と好評で
ある。宝石箱の1つはタバコ入れにもってこい。ラジオは現地で日本語放送を聞くため
に買ったが、デザインもよく小型でなかなかよい。コーヒーはなかなか味がよく、同じ
く買ってきたドリップでいれている。ベトナム茶はウーロン茶は友達にも好評。ウナギ
の干物は、絵はうなぎなのだが中身はウナギ?? 火であぶって食べ、家族は平気だが
、私は独特の香辛料が苦手(誰かに食べてもらおうか)。ベトナムは銀製品がアホみた
いに安いが、メッキが多いみたい。靴は普通の黒の革靴が50000ドンくらいからあ
ったが、カジュアルなものは100000ドンくらいから。

 友達は、100000ドンと140000の革靴、コーヒー、コーヒードリップ、チ
ョコレート、組みナイフ、トランプ(2000ドン)、缶ビール10缶、日めくりなど
を買って帰った。

つづく・・・

                        DE JR3ROC

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[BBS 2672] JR3ROC 94-01-11 23:40   3339 ベトナム旅行 表紙の船漕ぎの女性        

 またまた訂正から。”お土産”のところで、

 23.キャラメル(ナッツ入りで袋にたくさん入っている)23000ドン  1袋
                           =======
                          正 2300ドン

の間違いでした。


 我々はチャーターした自動車に乗せてもらい、ベトナム南部のメコンデルタ最大の町
カントーに向かった。メコン川は、非常に大きく、複雑に入り組んだデルタ地帯を形成
し、ココナッツが多く茂る大ジャングルを生んでいる。ちょうどベトナム戦争の映画な
どでイメージしているベトナムのイメージそのものだ。ここは大穀倉地帯で、果実等も
豊富である。ホーチミン市からは遠く、カント−までの陸路は橋が架かっていないとこ
ろがあるので2カ所もあるのでフェリーを2回も乗らなければならない。フェリー乗り
場やフェリーの中には売り子がたくさんいて、食べ物やタバコ、宝くじまで売りにくる
。中にはお金や物をくれと手を差し出す人やスリ等も多いようなので、車外にはでない
ほうがいいようだ。

 何時間も車に乗り、やっとカントーに着いた。ここは南部では最大の市場があって、
豊富な海産物や果実などが集まってくる。行ってみたが、規模の大きさや豊富さに驚き
、カメラを向けてもにこやかに顔をしていた。船をチャーターしてメコンデルタを方々
回ったが、魚も多く捕れ、果樹園も多くあり、船で売り手も買い手も集まってくる大き
な大変大きな水上マーケットもあった。人々の足は船で、移動に便利なように水辺の上
に柱を立てた家がよくある。船が家という水上生活者も多い。水上に浮いている船のガ
ソリンスタンドも見かけた。ここは水上の都なのだ。

 さて、カントーではここでは一番よいと言われる”インターナショナル・ホテル”の
最上階である6階の高額な部屋に泊まることにした。高額といっても、一泊朝食付き、
ツインで$36である。この部屋からは、漁船、エンジン付き船の渡し船、手漕ぎの渡
し船などのメコン川の営み、大きな市場、そして人々の行き来などが一望できる。

 さて、ホテルに着いて一息つき、ホテル前の手漕ぎの渡し船乗り場を見に行こうとし
たら、ここの手漕ぎ舟は、2つのオールを立ったままで漕ぐという変わったものだから
だ。

 すると我々を呼ぶ声が遠くから呼んでいる女性2人がいた。「何だろう」と思って
いると我々の方にニコニコしながら近づいてきた。彼女らは、友達が持っているガイド
ブックの表紙のカバーの写真を指さしている。その写真とは手漕舟とそれを操っている
女性2人が写っているものだ。ふと見ると、近寄ってきた女性2人はその写真の人その
ものではないか。「そうかこの写真はここで撮られたものか」「偶然とはいえ、表紙の
人に会えるとは」と感動してしまった。彼女らの一人が表紙のカバーをくれと言うので
あげた。カバーを取った表紙にも白黒で同じ写真があるのでサインしてもらい、いっし
ょに記念撮影もした。

 翌日、同じホテルに泊まっている2人の日本人女性にあった。彼女らと話していると
やはり船漕ぎの女性にカバーを取られてしまったということ。

 ところで、エンジン付きのチャーターのチャーター船でメコンは回ってきたが、ここ
独自の立ってオールを漕ぐ渡し船に乗りたくてたまらない我々は、表紙の船漕ぎの女性
のうち1人を指名して、15分ほどまわってもらった。料金交渉は最初$5だったが、
$1まで値切った。流れの非常に静かなメコン川を行き来する船のため、船の側面が低
く、動くと水がすぐに入ってきてしまうため、乗るにはコツがいる。船を漕いでいる表
紙の女性と水上で記念撮影をしたのはいうまでもない。

 *ガイドブックは、ダイヤモンド社 
            地球の歩き方 フロンティアシリーズ ベトナム

つづく・・・

                                               DE JR3ROC

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[BBS 2673] JR3ROC 94-01-11 23:42   3642 ベトナム旅行 レンタルバイク            

 社会主義国で、欧州を中心に社会主義国の多くが崩壊していった中で、ベトナムとい
うのは相変わらずの社会主義国である。物が少なく、人々は自由がきかない生活を送っ
ているイメージがつきまとう。

 しかし、実際のベトナムはまったく違う。町には、ヨーロッパ系石油会社の看板を上
げたガソリンスタンド、日本、韓国、欧米の工業製品の大きな看板も目に付き、中国製
品、アジア製品、日本製品などの品々があふれている。貧しい人々も多いが、何でも売
り買いできて、物は自由に行き来きるのだ。外国人はごく最近まで移動するときには移
動許可証をとらなければならなかったが、今ではどこに行こうと何をしようとまったく
の自由である。同じように現地の人々も自由にどこでも行けるようになった。写真も自
由にどこでも撮ることができて、明るくいきいきしている人々の顔を見ていると、以前
から抱いていたイメージはまったくない。自由経済へ移行してきているのだろう。


 自由になってきたといっても、外貨の少ないベトナムは所得が少ない人々も多く、ま
だまだ自動車は高値の華で、大都市でも数はそれほど多くない。走っている自動車は、
日本製、フランス製、ソビエト製、ドイツ製、アメリカ製、ごくたまに韓国製も見かけ
た。フランスの元植民地というもともあって、フランスの車にあこがれる人が多いとガ
イドブックには書かれていたが、実際には日本製は多い。町には日本の中古のバスを左
ハンドルに改造して使われているものも見かけた。ハノイの空港では行き先の札を外し
ているだけで、まったく日本のバスの中古そのままを、空港ターミナルから飛行機への
送迎に使っていた。つい”停車ボタン”を押したくなってしまった。自動車のナンバー
には2種類の色があって、深緑ナンバーは国有の自動車を示しており、白ナンバーは個
人所有の車なのだ。以前は深緑ナンバーがばかりだったらしいが、個人所有が認められ
ている現在では白ナンバーは非常に多い。

 個人で自動車を持っている人は大金持ちであって、多くの人々の足はバイクや自転車
だ。ハノイやホーチミンの大都市の道は、バイクや自転車が非常にたくさん通っており
、信号や横断歩道がほとんどない道を横切るのには苦労した。自転車はほとんどが中国
製で、私が借りたレンタルサイクル(1日 7000ドン 約70円)もやはりそうで
あった。バイクは圧倒的に本田の”ドリーム”もしくは”ドリーム2”(日本名スーパ
ーカブ)が多い。そのバイクに近づいてみると、”xxx本田販売”と書かれたステッ
カが張られていたり、本体に張られている使用説明のシールが日本語のものをよく見か
けた。これらは日本から中古で輸入されたもので、見たところ相当な数のようだ。もち
ろん、東南アジアか日本で製造されて新品で入ってきているものもある。街ではは50
ccのバイクであろうが2人乗り、3人乗りで走っているのをよく見かける。ベトナム
人の多くの所得ではバイクは乗用車くらいの値打ちがあるのだろう。知り合った大学生
達もバイクを持っている者がいたが、大学へ行かせてもらえる分だけ金持ちなのだろう
か。

 私はベトナムの古都、フエ市の遺跡を回るためにレンタルバイクのスーパーカブを1
日$6で借りた。が排気量は90cc。ここでは成人しているなら50ccは無免許で
乗れるのだが、50cc以上は免許が必要である。国際免許証を持ってきていないし、
日本では自動二輪免許を持っていない、つまり無免許運転である。そのためか貸してく
れた人は免許証を貸してくれたが、写真が張っていない。つまりこれされあれば誰でも
運転できるということだろうか。私が運転し友達が後ろに乗り、途中ガソリンスタンド
で燃料を2リットル(ガソリン1リットル 2500ドン、¥25)入れて、街の雑踏
を走り回った。左側通行でロータリーのない日本になれていると、右側通行をしたりロ
ータリーの交差点には戸惑ったが、それもすぐに慣れた。やっぱり、汗をかきもって歩
くのとは大違いで、風を切って目的地まで行くのはたいへん快適だった。まわった遺跡
によっては、1000ドン(¥10)ほどのバイクの駐車料金を取られた。ベトナムで
もちゃっかりしているのだ。

つづく・・・・

                         DE JR3ROC

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[BBS 2674] JR3ROC 94-01-11 23:43   3406 ベトナム旅行 ホーチミンさんとのご対面  

 ベトナムの通貨ドンの紙幣には、ベトナムの建国の英雄であるホー・チ・ミンさんの
肖像が描かれている。サイゴン陥落して南ベトナムが解放されたのは1975年、ホー
チミンさんはそれ以前の1969年に亡くなった。

 そのホーチミンさんの遺体が、そのままの姿で安置されて、誰でも見ることができる
と知ったのは、ベトナムへ行くことになってガイドブックに紹介されていたのを見てか
らだった。私にとってベトナムでの最大の楽しみ(言い方がおかしい?)になっていた
。

 ボーチミンさんと合うために、ベトナムの首都ハノイ市のホーチミン廟に行く。ここ
の開館は、火〜木、土8:00〜11:00、日、祝7;30〜11:30で、入場は
無料となっている。私がハノイに着いたのは1月2日(日)は閉館されているので、翌
日行くことにする。

 しかし正月は本当にやっているのだろうか。開館しているのか不安を抱きながらホー
チミン廟に向かう。我々が泊まっていたホテルからは思ったより近いので歩いていく。
レーニン像のある公園、軍事博物館などの前を通り、ベトナム外務省の建物近く来たと
き、大きな広場のはるか彼方に大勢の人々の列が見え、その奥の白い建物に入って行く
のが見えた。この白い建物こそ目指すホーチミン廟で、今日は開館しているのだ。

 そのまま建物前の大きな広場を通って行こうとすると、警護の者に向こうを回って行
けと指で合図されてしまった。相当大回りをして広場の入り口まで来たとき、警護の人
に荷物やカメラを持っているので、近くにある建物に預けてからここにくるように英語
で言われてしまった。ここはカメラ撮影などはだめなのだ。ガイドブックによると服装
には注意するようにとなっている。一応ズボンである必要はありそうだが私の着ている
Tシャツ大丈夫のようだ。さっそく荷物を預けて舞い戻る。

 我々2人、フランス人の夫婦は、警護の人に2列に並ぶように指示された。もっとも
のものしいのかと思ったが、警護の人は私の太った腕を揉みながら「君はよく太ってい
るね」と言わんばかりにニコニコしている。その人についていき建物の前まできた。入
り口の左右には警護の者が立っている。そして中に案内されて赤じゅうたんの敷き詰め
られた通路を2階へと上がっていく。だいぶん緊張してきた。

 少し暗い部屋に入ると、中にはガラスで囲まれた中に、生きたままのように見えるホ
ーチミンさんが横たわっているのが薄明かりに照らされていた。もう死後25年も経過
しているのに、どのように保存されているのか・・などと考えながら、ゆっくり見なが
ら歩いていく。周りには警護の者が何名もおり、ガイドブックには立ち止まると注意さ
れるとされているが、立ち止まってジロジロ見ても、今入っているのが4人だけと少な
いためか、何も言われない。

 亡骸を人々の前にさらけ出しているホーチミンさんの気持ちはどうなのだろう。英雄
として個人崇拝のためにそのようにされてしまっているのだろうか。

 地方から来たと思われるベトナムの人々も数多く見かけた。

 その隣にはホーチミン博物館がある。これは旧ソ連の全面援助でできたもので、入場
料2000ドン(¥20)。ホーチミンさんについて何でもわかるという、いろいろな
資料や品々が展示されている。中に入ろうとすると、ここでも写真撮影はダメで預ける
はめに。中の展示は。何やら博覧会のパビリオンばりの展示方法で、どういう意味があ
るのかよくわかりにくい。もっとも説明が日本語であればわかるのかもしれないか。何
でもかんでもホーチミンというのにうんざりして嫌になってきた。出口近くに、喫茶コ
ーナーがあって、アイスクリーム、コーヒー、クリームパン(それぞれ1500ドン 
¥15)を飲み食いした。すべて美味しく大ファンになり、後でハノイの街でもこれら
を飲み食いするきっかけとなった。やっぱり日本人の我々にはホーチミンさんより食い
気である。

つづく・・・

                      DE JR3ROC

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[BBS 2678] JR3ROC 94-01-24 23:12   3382 ベトナム旅行 その他(1)              
 ベトナム旅行記、ネタはまだまだあるのですが、日が経過するにつれて
書く意欲がなくなってきて・・・しばらく途絶えていました。

 特に題を設けず、その中で思いつくまま書くことにします。

◆大学生

 フエで知り合った大学生が通っている大学は、「フエ師範大学校」といって
総合大学を卒業したものが入学でき、このような師範大学校はホーチミンやハノイ
などにもあるらしい。日本語を教えている日本人の先生2人にもお会いして、いろい
ろお話をうかがったが、師範大学校に入っている学生は非常に頭が良く、日本で言う
ところの東大や京大ぐらいに相当するとか。そういえば、日本語学科は今年の9月か
ら開設されたようだが、その3カ月であれだけ日本語がしゃべれて、「私は漢字を
2000字覚えました。あなたは漢字はどれだけ知っていますか」といってくる
学生もいたくらいだから。最近コンピュータを完全に筆記用具かわりに使って
いて、漢字をぼろぼろ忘れている私は恥ずかしいかぎり。なお、会った学生すべて
総合大学時代に英語を専攻していたためか英語はぺらぺら。

 ところで学生寮にも何回かおじゃまして、いっしょに遊んだりしたが、彼らの
部屋の小ささにはびっくり。部屋は4畳半くらいの部屋が2つくっついた中に
ベッドが3つあり、1つのシングルベッドに2人が寝ており、6人が住んでいる。
便所は、大小兼ねたものは独特のものだが何とか日本人の私にも使えるが、小の
ほうは・・・中に入ると何も便器がなくコンクリートの小さな部屋なのだ。
その中の適当なところに用をたして、水をかける・・・暗かったのでよくわからな
かったが、適当に染み込んでいくだけのような・・・。部屋代は一ヶ月$3くらい
とか。この小さな部屋にもクリスマスの時のいろいろな手作りの飾りが残っており、
小さいながらも学生生活を楽しんでいるようだ。

 その学生寮の前には、教員寮があり、先ほどの日本人の先生2人も住んでいた。
先生に聞いたら、一日で何十ドルも取られているようで、学生寮の値段の話を
出したら、「学生はそんなに安いんですか? いいなぁ」とおっしゃっていた。
どうやら学生の私生活についてはあんまりご存じないようで。

 また、学生達と大晦日の夜のダンスパーティーにいったとき、彼らは普段の
格好とは見違えるほどのおしゃれをして出かけた。いざダンスホールにいって
みると、生のバンド演奏なのはいいが、音楽がおとなしい。ディスコのイメージ
を抱いていたら、みんな踊っているのは”社交ダンス”に近いような・・・。
これだと相手も必要だし・・いっしょに行った女学生に相手をしてもらってもよか
ったかな? もっともこのようなダンスはやったことがないので恥をかくだけだ
が。私が「おどれない」というと、学生は「えっ踊れないんですか?」と驚いていた
様子。後で聞いたが、彼らは総合大学のときに授業で習ったそうだ。どうりで・・
この後、学生寮に戻ったときに再び日本人の大学の先生にあったが、「ここのダン
スは、ぜったいおかしいですよ」とおっしゃっていた。

◆ドレーモン

 ベトナム各地で、クリスマスの飾りに混じって、日本で人気アニメの”どらえもん”
の人間と等身大の人形をよく見かけた。本屋さんにもしっかりベトナム語訳された
どらえもんの漫画本があった。というより漫画本はどらえもんしかなかったけど。
しかしタイトルを見たら「DOREMON」(注:ベトナム語はローマ字表記で、
文字の上にアクセントの記号を付ける。Eの文字の上にのばす表記がされていた)
つまり「ドレーモン」と言うのだ。日本の南画やアニメはさすが! しかしTVを
見ると日本のアニメはまったく放映されておらず。見たのはアメリカとフランスの
もののようだった。なお吹き替えはされておらず、元のセリフの音量を小さくして、
一人の人がベトナム語でのセリフをかぶせているだけだった。


*もうじきベトナム旅行記も終わりか?
                      DE JR3ROC

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[BBS 2679] JR3ROC 94-01-24 23:15   2806 ベトナム旅行 その他(2)              
◆大学生 その2

 前のときに書き忘れたことが。

 ダンスホールから学生寮に戻って、大学の先生やら学生たちと話をしたあと、
学生寮の部屋でみんなといっしょに新年を迎えようということになった。
新年を迎えるには爆竹が必要ということで学生の一人とバイクで買いに出かけた。
私はその間、主に日本語のしゃべれる学生と雑談をしていたが・・・

 外から、学生を呼ぶ声が。ふと部屋の外を見ると、年輩の男性がおり、学生を
呼び出している。そしてしばらくの間話し込んでいた。部屋の中にいた学生が
けげんそうな顔をしている。「いったいなんだろう?」と思っていたら、学生は
こう答えた。「あなたは外国人です。だからここに来てはいけないんです。これは
規則ですから」と。「日本人の先生に言ってもダメなの?」といっても、「規則
ですから・・」と答えるのみ。先ほど来ていた人は管理人で、外国人が寮の中に
入り込んでいたので注意しにきたのだ。学生、そして私の顔からは、今までの
笑顔は消え、しばらく沈黙が続き、私はこう答えた。「爆竹を買いに行っている
戻ってきたら、帰ります」。

 しばらしくして相棒は爆竹を手にして、事情をしらないものだからニコニコしな
がら帰ってきたが。事情を説明して、すぐに帰ることにした。寮からホテルまでは
歩くと相当距離があるのでバイクに3人乗りして送ってもらうことにした。明日の
朝、フエの町から列車に乗ってハノイへと旅立つが、このことを学生に告げていたた
めか、「明日、みんなで見送りにいくよ!」と学生の誰かが言ってくれた。そして
みんなと別れを惜しみ、みんなが見送る中、バイクに乗せてもらってホテルに
戻った。

 次の朝、フエ駅に行き、ハノイ行きの列車を待っていた。もうじき列車の
到着時間というとき、4、5名ほどの学生が見送りに来てくれた。しばらく話を
していると列車は到着し、彼らは我々の荷物を持って、乗る席まで案内してくれ
た。相棒が以前にハワイで買ったという蛍光色のサングラスをもっていたが、
これに学生たちは興味をしめしていたので、別れの品として手渡し、窓越しに
別れを惜しんだ。そして列車は旅立つ・・・・

 フエでの4日ほどは滞在は大変楽しいものとなった。これも学生たちにあうこと
ができたことによるのが大きい。彼らの名前や住所も聞いておいたので、今度手紙
を書こうと思う。いっしょに撮った写真を何枚かそえて。

◆爆竹

 大学生 その2 で出てきた爆竹は、中国製で、大きさは直径25cm、幅5cm
ほどもある大きなものである。店に買いにいったとき、10000ドン、日本円に換
算して¥100ということだったようだ。よく10000ドンのかわりに$1紙幣を
使うことがあったので、同じように$1紙幣をだすと、店のおじさんは「いったい、
このお金は何?」という顔をしたそうで、いっしょにいった学生が5000ドン紙幣
2枚をあわてて出したということだった。どうやらこの店に外国人が買い物に来たこ
とは今までになかった模様。こんなにも大きなものが使われるものだから、大晦日ら
新年にかけては、けたたましい爆音が町中にひびきわたる。たぶん、日本へは持ち込
めないだろうな。

*まだしぶとく、このシリーズは続くか?

                         DE JR3ROC

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